克復への道
書痙を克服するページ
<初めて自分以外の人に自分が書痙だと話した事>
書痙という状態異常のまま、それなりの年齢になりました。
親、親戚からのプレッシャーもすごく、自分でも家族をもちたいと思いはじめました。
ちなみに、親にも自分が書痙だという事は話していません。
色々がんばって、お相手を探しました。いっぱい失敗もしました。。
そんな事を初めて、数年、
あるお相手と買い物に行った時、私がその店の会員登録をする事になりました、
やはり、手が震えてしまい、店員さんには「個性的な字ですね。」と言われました。
その時一緒にいた彼女に、思い切って書痙の事を話しました。
すると、そんな弱点があるんや、という感じで受け入れてくれました。
「ドラえもんがネズミが苦手」と同じ事じゃないの、
なんて事を話したのを覚えています。
自分の書痙の事を誰かに言ったのは、これが1人目でした。
そして、その人と結婚しました。
1つ気づいたのですが、その人の前だと、書痙は出ません。
相手が自分の事を書痙だという事を知ってもらえていれば、
かなり気が楽になるという事にこの時に気づきました。
<子供の前でも大丈夫>
数年後、子供もできて、色々と忙しい日々を過ごしていました。
ここで、さらに気づいた事は、
子供の前では書痙がでません。生まれた時からずっと一緒だった子供だから、
全く目線が気になりません。逆に落ち着くぐらいでした。
「自分が書痙だと周りの人に知ってもらう」
これは書痙を克服する事にはならないですが、気持ちの安定にはすごく効果がある
と思います。私も実際にそう感じました。
(詳しくは次の「最後のプログラム」でお話しします。)
<どうしてもこの時だけは・・・>
ある時、家族で海外旅行に行こうという話になりました。(近いところですが。)
海外なので当然、パスポートが必要です
書痙への恐れがすごい私は、ネットでパスポートの申請について調べました。
どのような書類が必要なのか・・・という事はどうでもいい、
誰かが見ている前で文字を書く必要があるのかが重要です。
そして、パスポートを受け取る時にサインをしなくてはいけない、
という事がわかってしまいました。
絶対に間違ってはいけない大事なものに文字を書かなくてはいけない!
(そうではないのかもしれませんが。)
そう考えた私は、インターネットで書痙を抑える薬がないか、
どこにいったら処方してもらえるのかを調べました。
手の震えをおさえる薬があるのではないかと思ったきっかけは
プレイステーションのメタルギアソリッドというゲームの中で、
スナイパーライフルをかまえる時に、
通常だと手が震えて照準が勝手に動いてしまのですが、
あるアイテム(薬)を使うと、その震えが止まるんです。
ゲームなのに、なんてリアルな設定・・・。恐るべしメタルギアです。
そして、家からけっこう遠い場所にですが、病院をみつけて、薬をもらいました。
その薬は、2時間後にしかききません。そのあたりはゲームとは違いました。
でも、その効果は絶大で、気持ちが落ち着いて、手にも力が入らずに、
重要な書類に文字をかけました。
そういった事が何度かあり、2時間前にわかっていれば対応できるようになりました。
<薬がきかない>
しかし、その薬がきかない時が増えてきました。
2時間前に飲んだのに、まったく気持ちが落ち着かない、手も震える!!!
さらに、会社では、書類にサインをするような仕事が
増えていくようになっていきました。
これは2時間前には予想できません。突然おそってきます。
会社の人に手が震えてる事を知られてしまう・・・。
家族の為にも書痙を克服して、できる仕事を増やして、
給料をあげていかないといけません。
私は同期と比べて、出世できず、給料も非常に低い状態でした。
今まで書類にサインするような仕事から逃げてきた事、
自分に自信がもてなかった事で、評価が下がっていたのは事実だと思います。
そして、私は、薬なしで書痙を克服できる方法がないか、あちこち調べてまわりました。
<先生との出会い>
ある病院の先生のブログをみつけました。
書痙に悩んでいた女性がが、その先生に治してもらったというものです。
まずは、読んでみてください。軽い書痙の人はこれだけで克復できるかもしれません。
http://www.mukai-mental-clinic.jp/blog/?p=45
短い文章でしたが、私は何度も何度も読みかえしました。
よく調べると、その先生の病院は電車で1時間ほどで行ける場所にありました。
私は、すぐにその病院の予約をとりました。
病院に行って、先生と話しをしました。
治療内容は、そのブログの内容のものから始まりました。
先生は、なんとか治してあげたいと言ってくださり、
私の診察時間を長くとってくれました。
25年この病気で悩まされている事や、どんな時に手がふるえるのかなどを話ました。
そして、大丈夫、治るよと、さらっと言ってくれました。
そして、治療が始まりました。
まずは、ブログに書いてある事を、何か月も行いました。最初は毎週病院に行って、
しばらくした頃からは1か月に1回通いました。
ですが、そのブログに出てくる女性のようにはいきませんでした。
こっちは25年のキャリアがあるんです、そんなに簡単には治りません。
<状態異常が消えた>
そして半年・・・・・
病院の先生の前で、震えないで文字をかけるようになりました。
ですが、この先生は書痙についての理解が日本でも最強の方なので、
これでは書痙を克服したかどうかわかりません。
その後、克復できたと感じる機会がやってきます。
会社の大事な書類の決まった場所に、日付と金額を書く事になりました。
その書類は、偉いさんのハンコリレーの後、まわされてきて、
失敗したら、かなりピンチになるものです。
いつもは震えてなかなか書けなかった書類に、
妙に落ち着いて、ゆっくりとサインができました。
これは人の目線がない場所で書きましたが、今までなら絶対に無理だった事です。
あるお店で電化製品を買った時に、店員さんの目の前でにサインできました、
まったく震えません、逆にどうやったら震えれるのかわかない。
私の考える、書痙克服のゴール地点は、まさにこれです。
「逆に、どうやったら震えれるかわからない。」
ほしかった家電を買った事よりも、
書痙の克服ができたのではないかという気持ちで、25年ぶりの解放感がありました。
字を書く時に、
「また震えるかもしれない」・・・この恐れを消す事はできません。
「気持ちを落ち着けて」・・・・・無理です。そう思う事で手が震えます。
「誰も見てないから」・・・・・・これも無理。そう考える事で手が震えます。
この恐れをもちつつも、「あれっ?何で震えないの?」となる事がゴールなのです。
ようやく私から書痙という状態異常が消えました。
何かのきっかけで復活するかもしれないという恐れは、とうしても残りますが・・・。
今は、人前で字がかけます。震えようとしても震えれません。
今までできなかった事をやっていこう、逃げていた事に挑戦しよう、
そんな前向きな気持ちになっています。
<「最後のプログラム」へ行く前に>
次が最後です。私が病院の先生にアドバイスや処方をしてもらいながら、
克復に至った時に行った事、考えをどうやって変えたかなどについて書きました。
今まで長々と書きましたが、
書痙に苦しめられた日々、書痙とどう戦ったかを理解してもらってからでないと、
「最後のプログラム」の効用が弱くなってしまうと思いましたので、
このような形にしました。
ですので、ここまでの分を、
さらっと流してしまった方は、もう1度読みかえしてもらった方がいいかと思います。